カテゴリー: 03 人生を創る

  • 自分たちの土地で、他国同士が戦争するということ


    【パラオ旅行記②】
    自分たちの土地で、他国同士が戦争するということ
    ――パラオで広島県人の私が立ち止まったこと

    パラオの地図を見ていると、「防空壕跡」「海軍省」「特二式内火艇」の文字が現れます。
    それは、特別な施設でなく、道沿いや、高校のグラウンドの裏にむき出しです。

    錆びて、蔦が絡まり、その横では普通に緑が生い茂っている。
    それでも、撤去されない形で残してある。
    海の中にも、今もゼロ戦や、日本の船が沈んでいるそう。

    80年以上前の戦争の跡が、観光施設の中ではなく、
    今の暮らしの風景の中に残っているんです。

    パラオには、かつて日本の統治時代がありました。地元の人はJapanese Timeと呼んでいます。その前のスペイン→ドイツ時代よりも、学校ができ、道路も整備され経済も発展されたと聞きます。親日家が多いのもそのなごり。

    だけど、第二次世界大戦では、日本とアメリカの戦いの舞台にもなりました。沖縄が上陸されたように、グアム、サイパン、硫黄島のように、パラオも戦場になりました。

    パラオに行く前、昨年公開された「ペリリュー~楽園のゲルニカ~」というアニメ映画を見ていました。
    パラオの南西のペリリュー島は、島民は、別の島に疎開し、焼野原になりました。
    戦争が終わっても、やっと生き残った日本人が戦争が終わったことを知らず(知っても受け入れられず)2年間も島に隠れていたそうです。餓死、風土病で生き残って投降したのは34人。

    日本人が去ったあと、次はアメリカの統治時代が続き、1994年にやっと独立。
    1994年ってつい最近じゃんって思ってしまう。沖縄復帰よりあとだったんだ。と驚いた。

    ホテルから歩いて5分ほどに戦車が今もさびたそのままの形で眠っていた。
    戦争をしていた日本で、防空壕を身近に見ることもあまりないのに。

    「これは、誰の戦争だったんだろう」

    簡単に語れるものではありません。

    でも、いろんな理由をつけて
    ある国がやってきて統治し、
    その国が別の国と戦争を始める。

    そのとき、
    そこに昔から暮らしていた人たちはどうなるんだろう。
    統治時代の恩恵もあったでしょう。でも、別の側面もある。

    「日本時代はよかった」
    「日本はひどかった」
    とか、その一方で語ることはできない。

    自分たちが始めたわけではない戦争の中で、
    暮らしていた土地が戦場になる。

    家を離れなければならなくなる。
    土地が焼かれる。
    大切な場所が壊される。

    そんなことが、
    実際にこの美しい島で起きたんだ。

    そう思うと、
    「親日国なんだね」
    「日本とのつながりが深いんだね」

    それだけでは、
    私は終われませんでした。

    その一方で、
    ペリリューには、こんな話が語り継がれています。
    島民が「私たちも一緒に戦いたい」と申し出たとき、日本軍の中川州男大佐が「お前たちのような土人と一緒に戦えるか」という趣旨の厳しい言葉で拒んだ。
    島民たちは、日本人も自分たちを見下していたのかと傷ついた。
    けれど、疎開する船が島を離れると、日本兵たちが浜に現れ、涙ながらに手を振りながら見送っていた。
    その姿を見て島民たちは、「あの言葉は、自分たちを戦争に巻き込まないためだったのかもしれない」と受け取った――。

    どこまでが史実で、どこからが語り継がれる中で形づくられた物語なのかは、分かりません。
    でも私は、この話を聞いたとき、とても心に残りました。

    私は広島県人です。
    広島にも、普通に人が歩き、
    笑い、
    買い物をし、
    子どもたちが学校へ通う場所に、

    「あの日」がありました。、

    「戦争は嫌だ」

    という一言だけではなく、
    普通の人の暮らしはどうなるのか。
    想像できる人でありたいと思いました。

    戦車の周りには、草が生えていました。
    自然は、何事もなかったように、また命を育てている。

    夫は静かに、蔦を取り除きはじめました。
    少し、不気味さもある鉄の塊
    かつては、ここに本当に人が乗っていた
    蔦をとり草を抜き、その部分を丁寧に出す夫の姿に、「この人すすごいな」と思っていました。

    こんな大きなものを、日本から南の島へ運び、ここを走らせていた。
    そして、今もその跡がある。
    パラオの人たちは、その日をそのままおいてくれている。

    自分とは違う国の人、
    違う時代を生きた人、
    名前も知らない誰かの痛みを、

    「私には関係ない」

    と切り離さずに、そこにあったものを、そこにあったものとして残している。

    そして戦車の横に立つ夫を見て、

    「その服、生き残り兵士みたいじゃね?」

    なんて、不謹慎にも二人で笑ってしまいました。
    こんな冗談を言いながら、
    夫婦でここに立っていられる。

    それは、今が平和だから。

    私たちは、戦争のない時代に戦争のない国に生まれた。

    この平和が当たり前になっている。
    だけど、
    この平和を当たり前にするのではなく、

    知ること。
    想像すること。
    そして、次の世代へ渡していくこと。

    それが、この時代に生まれた私たちの、意味であり、責任なのかもしれません。


    パラオで見つけた愛のカタチ②。

    美しい南の島で、
    私は「平和」について、
    ずいぶん長く考えていました。