カテゴリー: 03 人生を創る

  • 女性の心と経済の自立

    女性の心と経済の自立

    【バックエンドって、どうやって作るの?】
    起業塾で学んで商品を作った。
    でも、いざとなると売れない。
    高額商品を作っても、いざとなると言い出せない。
    そもそも、フロントセミナーに人が集まらない…。

    そんなこと、ありませんか?
    もしかしたらそれは、あなたにも、あなたのところに来てくださる方にも、合っていないやり方なのかもしれません。

    昨日のROSYの会の勉強会では、
    「売りたい商品」から考えるのではなく、

    今、あなたのところに来てくださっている方のお困りごとや、ゴール見て商品を考えてみよう
    というワークをしました。

    「この人は、何に困っているんだろう?」
    「どんな未来を望んでいるんだろう?」
    「そのために、私が持っている経験や知識、力の中で何が使えるだろう?」

    そこから商品を作ってみる。

    参加してくださった方から、
    「Aさんというお客様に寄り添いたいと思っていました。
    でも、どうしたらいいのかわからなくて。
    Aさんのためのプランをイメージして作ってもいいんですね。」

    そんな感想をいただきました。
    また別の方からは、
    「楽しいのと、本当に勉強になりました。
    5年後、6年後くらいには毎月温泉に行きたいです。
    現実はいろいろあるかもしれないけれど、なんだかワクワクします。」
    という声も😊

    こういうの、すごく嬉しい。

    商品を作ることって、売上を作るためだけじゃない。
    自分はどんな人生を送りたいのか。
    そのために、どんな働き方をしたいのか。
    誰の役に立ちたいのか。
    そこまでつながっているんだと思います。

    ROSYの会のモットーは、
    女性が心も経済も自立し、バラ色の人生へ🌹

    0→1の人も、1→10の人も。
    みんなそれぞれの場所から、一歩ずつ進んでいます。

    一人で考えていると、同じところをぐるぐるしてしまうこともある。
    そんなときは、一緒に考えて、一緒にやってみる。
    起業塾とは少し違う。
    でも、ただの交流会でもない。

    自分を知って、自分の価値を信じて、必要としてくださる人に仕事を届けていく。
    そんな場所がROSYの会です🌹

    一人で悩んでいる方、
    一緒に一歩進んでみませんか?

    次回のROSYの会定例会は
    2026年10月10日(土)14:00~16:00
    リアル&オンラインで開催します。
    定例会は1,000円で見学可能です。
    (事前にご予約ください)

    リアル会場:
    広島県福山市新涯町1-7-24
    レンタルスペース樹にて
    オンライン:ZOOM

    起業って気になる。そんな方は是非遊びにいらしてください。
    お問合せお待ちしています。

    #起業塾未満だけど起業塾以上の価値を

  • 「秋の漏洩まつり」開催中?

    「秋の漏洩まつり」開催中?

    昨日、夫がニュースを見ながら
    「怖いなぁ、気をつけんとなぁ」
    「大変じゃなぁ」
    と不安を口にしていた企業の情報漏洩のニュース。
    訴訟に参加する人もたくさんいるらしい、とのこと
    怒りに感じちゃう人もいますよね。
    なんて話していたところ。

    今朝
    息子がひと言。

    「今、ネットでは『秋の漏洩まつり』って言われてるよ」
    え?

    「“あそこが漏洩したか!じゃあ次はうちも!みたいな」

    いやいやいや。不謹慎でしょう!
    漏洩をおまつりにしないでください(笑)

    私たちはこういうニュースを見ると、
    「怖い」
    「被害に遭ったらどうしよう」
    「その会社、大丈夫なの?」
    と、つい“被害を受ける側”から見ます。

    でも私も仕事をしていて、
    お客様の名前や連絡先など、大切な情報を預かっています。

    ということは、
    私たちだって、被害者になる可能性もあれば、
    知らないうちに加害する側になる可能性だってある。
    だから、
    「怖い、怖い」と不安になるだけでもなく、
    「なんて会社なの!」と誰かを責めるだけでもなく、
    まずは、
    自分にできる対策を、ちゃんとする。
    パスワードを見直す。
    個人情報の扱いを確認する。
    自分の仕事の仕組みも見直してみる。
    できることは、ちゃんとやる。
    そして、やることをやったら、
    「秋の漏洩まつり」
    って笑えるくらいの余裕も持っていたい。

    何かが起きるたびに、
    不安や怒りの中で生き続けるんじゃなくて、
    できることはちゃんとやる。

    その上で、それを笑って見守れる器がいい。
    そんなことを思った我が家の夜でした

    家族肯定感🄬カウンセラー
    心と家族の相談室
    花岡璃奈(おかりな)

  • 自分たちの土地で、他国同士が戦争するということ


    【パラオ旅行記②】
    自分たちの土地で、他国同士が戦争するということ
    ――パラオで広島県人の私が立ち止まったこと

    パラオの地図を見ていると、「防空壕跡」「海軍省」「特二式内火艇」の文字が現れます。
    それは、特別な施設でなく、道沿いや、高校のグラウンドの裏にむき出しです。

    錆びて、蔦が絡まり、その横では普通に緑が生い茂っている。
    それでも、撤去されない形で残してある。
    海の中にも、今もゼロ戦や、日本の船が沈んでいるそう。

    80年以上前の戦争の跡が、観光施設の中ではなく、
    今の暮らしの風景の中に残っているんです。

    パラオには、かつて日本の統治時代がありました。地元の人はJapanese Timeと呼んでいます。その前のスペイン→ドイツ時代よりも、学校ができ、道路も整備され経済も発展されたと聞きます。親日家が多いのもそのなごり。

    だけど、第二次世界大戦では、日本とアメリカの戦いの舞台にもなりました。沖縄が上陸されたように、グアム、サイパン、硫黄島のように、パラオも戦場になりました。

    パラオに行く前、昨年公開された「ペリリュー~楽園のゲルニカ~」というアニメ映画を見ていました。
    パラオの南西のペリリュー島は、島民は、別の島に疎開し、焼野原になりました。
    戦争が終わっても、やっと生き残った日本人が戦争が終わったことを知らず(知っても受け入れられず)2年間も島に隠れていたそうです。餓死、風土病で生き残って投降したのは34人。

    日本人が去ったあと、次はアメリカの統治時代が続き、1994年にやっと独立。
    1994年ってつい最近じゃんって思ってしまう。沖縄復帰よりあとだったんだ。と驚いた。

    ホテルから歩いて5分ほどに戦車が今もさびたそのままの形で眠っていた。
    戦争をしていた日本で、防空壕を身近に見ることもあまりないのに。

    「これは、誰の戦争だったんだろう」

    簡単に語れるものではありません。

    でも、いろんな理由をつけて
    ある国がやってきて統治し、
    その国が別の国と戦争を始める。

    そのとき、
    そこに昔から暮らしていた人たちはどうなるんだろう。
    統治時代の恩恵もあったでしょう。でも、別の側面もある。

    「日本時代はよかった」
    「日本はひどかった」
    とか、その一方で語ることはできない。

    自分たちが始めたわけではない戦争の中で、
    暮らしていた土地が戦場になる。

    家を離れなければならなくなる。
    土地が焼かれる。
    大切な場所が壊される。

    そんなことが、
    実際にこの美しい島で起きたんだ。

    そう思うと、
    「親日国なんだね」
    「日本とのつながりが深いんだね」

    それだけでは、
    私は終われませんでした。

    その一方で、
    ペリリューには、こんな話が語り継がれています。
    島民が「私たちも一緒に戦いたい」と申し出たとき、日本軍の中川州男大佐が「お前たちのような土人と一緒に戦えるか」という趣旨の厳しい言葉で拒んだ。
    島民たちは、日本人も自分たちを見下していたのかと傷ついた。
    けれど、疎開する船が島を離れると、日本兵たちが浜に現れ、涙ながらに手を振りながら見送っていた。
    その姿を見て島民たちは、「あの言葉は、自分たちを戦争に巻き込まないためだったのかもしれない」と受け取った――。

    どこまでが史実で、どこからが語り継がれる中で形づくられた物語なのかは、分かりません。
    でも私は、この話を聞いたとき、とても心に残りました。

    私は広島県人です。
    広島にも、普通に人が歩き、
    笑い、
    買い物をし、
    子どもたちが学校へ通う場所に、

    「あの日」がありました。、

    「戦争は嫌だ」

    という一言だけではなく、
    普通の人の暮らしはどうなるのか。
    想像できる人でありたいと思いました。

    戦車の周りには、草が生えていました。
    自然は、何事もなかったように、また命を育てている。

    夫は静かに、蔦を取り除きはじめました。
    少し、不気味さもある鉄の塊
    かつては、ここに本当に人が乗っていた
    蔦をとり草を抜き、その部分を丁寧に出す夫の姿に、「この人すすごいな」と思っていました。

    こんな大きなものを、日本から南の島へ運び、ここを走らせていた。
    そして、今もその跡がある。
    パラオの人たちは、その日をそのままおいてくれている。

    自分とは違う国の人、
    違う時代を生きた人、
    名前も知らない誰かの痛みを、

    「私には関係ない」

    と切り離さずに、そこにあったものを、そこにあったものとして残している。

    そして戦車の横に立つ夫を見て、

    「その服、生き残り兵士みたいじゃね?」

    なんて、不謹慎にも二人で笑ってしまいました。
    こんな冗談を言いながら、
    夫婦でここに立っていられる。

    それは、今が平和だから。

    私たちは、戦争のない時代に戦争のない国に生まれた。

    この平和が当たり前になっている。
    だけど、
    この平和を当たり前にするのではなく、

    知ること。
    想像すること。
    そして、次の世代へ渡していくこと。

    それが、この時代に生まれた私たちの、意味であり、責任なのかもしれません。


    パラオで見つけた愛のカタチ②。

    美しい南の島で、
    私は「平和」について、
    ずいぶん長く考えていました。