自分たちの土地で、他国同士が戦争するということ

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【パラオ旅行記②】
自分たちの土地で、他国同士が戦争するということ
――パラオで広島県人の私が立ち止まったこと

パラオの地図を見ていると、「防空壕跡」「海軍省」「特二式内火艇」の文字が現れます。
それは、特別な施設でなく、道沿いや、高校のグラウンドの裏にむき出しです。

錆びて、蔦が絡まり、その横では普通に緑が生い茂っている。
それでも、撤去されない形で残してある。
海の中にも、今もゼロ戦や、日本の船が沈んでいるそう。

80年以上前の戦争の跡が、観光施設の中ではなく、
今の暮らしの風景の中に残っているんです。

パラオには、かつて日本の統治時代がありました。地元の人はJapanese Timeと呼んでいます。その前のスペイン→ドイツ時代よりも、学校ができ、道路も整備され経済も発展されたと聞きます。親日家が多いのもそのなごり。

だけど、第二次世界大戦では、日本とアメリカの戦いの舞台にもなりました。沖縄が上陸されたように、グアム、サイパン、硫黄島のように、パラオも戦場になりました。

パラオに行く前、昨年公開された「ペリリュー~楽園のゲルニカ~」というアニメ映画を見ていました。
パラオの南西のペリリュー島は、島民は、別の島に疎開し、焼野原になりました。
戦争が終わっても、やっと生き残った日本人が戦争が終わったことを知らず(知っても受け入れられず)2年間も島に隠れていたそうです。餓死、風土病で生き残って投降したのは34人。

日本人が去ったあと、次はアメリカの統治時代が続き、1994年にやっと独立。
1994年ってつい最近じゃんって思ってしまう。沖縄復帰よりあとだったんだ。と驚いた。

ホテルから歩いて5分ほどに戦車が今もさびたそのままの形で眠っていた。
戦争をしていた日本で、防空壕を身近に見ることもあまりないのに。

「これは、誰の戦争だったんだろう」

簡単に語れるものではありません。

でも、いろんな理由をつけて
ある国がやってきて統治し、
その国が別の国と戦争を始める。

そのとき、
そこに昔から暮らしていた人たちはどうなるんだろう。
統治時代の恩恵もあったでしょう。でも、別の側面もある。

「日本時代はよかった」
「日本はひどかった」
とか、その一方で語ることはできない。

自分たちが始めたわけではない戦争の中で、
暮らしていた土地が戦場になる。

家を離れなければならなくなる。
土地が焼かれる。
大切な場所が壊される。

そんなことが、
実際にこの美しい島で起きたんだ。

そう思うと、
「親日国なんだね」
「日本とのつながりが深いんだね」

それだけでは、
私は終われませんでした。

その一方で、
ペリリューには、こんな話が語り継がれています。
島民が「私たちも一緒に戦いたい」と申し出たとき、日本軍の中川州男大佐が「お前たちのような土人と一緒に戦えるか」という趣旨の厳しい言葉で拒んだ。
島民たちは、日本人も自分たちを見下していたのかと傷ついた。
けれど、疎開する船が島を離れると、日本兵たちが浜に現れ、涙ながらに手を振りながら見送っていた。
その姿を見て島民たちは、「あの言葉は、自分たちを戦争に巻き込まないためだったのかもしれない」と受け取った――。

どこまでが史実で、どこからが語り継がれる中で形づくられた物語なのかは、分かりません。
でも私は、この話を聞いたとき、とても心に残りました。

私は広島県人です。
広島にも、普通に人が歩き、
笑い、
買い物をし、
子どもたちが学校へ通う場所に、

「あの日」がありました。、

「戦争は嫌だ」

という一言だけではなく、
普通の人の暮らしはどうなるのか。
想像できる人でありたいと思いました。

戦車の周りには、草が生えていました。
自然は、何事もなかったように、また命を育てている。

夫は静かに、蔦を取り除きはじめました。
少し、不気味さもある鉄の塊
かつては、ここに本当に人が乗っていた
蔦をとり草を抜き、その部分を丁寧に出す夫の姿に、「この人すすごいな」と思っていました。

こんな大きなものを、日本から南の島へ運び、ここを走らせていた。
そして、今もその跡がある。
パラオの人たちは、その日をそのままおいてくれている。

自分とは違う国の人、
違う時代を生きた人、
名前も知らない誰かの痛みを、

「私には関係ない」

と切り離さずに、そこにあったものを、そこにあったものとして残している。

そして戦車の横に立つ夫を見て、

「その服、生き残り兵士みたいじゃね?」

なんて、不謹慎にも二人で笑ってしまいました。
こんな冗談を言いながら、
夫婦でここに立っていられる。

それは、今が平和だから。

私たちは、戦争のない時代に戦争のない国に生まれた。

この平和が当たり前になっている。
だけど、
この平和を当たり前にするのではなく、

知ること。
想像すること。
そして、次の世代へ渡していくこと。

それが、この時代に生まれた私たちの、意味であり、責任なのかもしれません。


パラオで見つけた愛のカタチ②。

美しい南の島で、
私は「平和」について、
ずいぶん長く考えていました。

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